湖国探遊記

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無形文化遺産は自分達を語る上で重要な文化の代表?登録する意味とそこに感じる矛盾など

最近、風流踊りが無形文化遺産に登録されたのですが、そもそも無形文化遺産とは一体何なのかが気になってしまいました。

何となく世界文化遺産の無形版の様に思っていたのですが、どうも違うようなのです。

 

まず、無形文化遺産とは自分達にとって重要であり次代に受け継ぐべき文化の遺産とされます。

特にこの「自分達にとって」という部分が、世界遺産とは根本的に違うのです。

 

世界遺産の場合、認められる為には「顕著で普遍的な価値」を証明する必要があります。

なので、誰にとっても重要なものでなければいけません。

さらに、真正性、本物であり元々の状態のまま変わっていないことも求められます。

 

しかし、こうした世界遺産の評価は欧米諸国の価値観に寄り過ぎているとの批判がなされるようになります。

確かに世界遺産の登録件数は北半球に偏っており、世界遺産の南北問題とも言われるのです。

また、真正性についても石の文化と評される欧米諸国ならば有り得ますが、そうでない文化圏では難しい話なってしまいます。

例えばローマ時代の石造物は、そのままの姿で残っていたり発掘されたりします。

一方で、例えば世界最古の木造建築物とされる法隆寺ですが、そこで使われる部材は全てが当時のものではありません。

そうなると、真正性とは何なのかという問題が生まれてしまいます。

 

そして、こうした南北問題や真正性の問題などの反省もあり生まれたのが無形文化遺産なのです。

そのため、無形と有形以外にも多くの違いがあります。

「自分達にとって」と「普遍的な」という点や、「顕著」と「代表」という点など様々です。

 

この「代表」も特に興味深い点で、これは同じ文化内でも様々な形がある中でその特徴をよく表し典型例となるものを登録する考え方によります。

世界遺産の「顕著」だと、階層的な評価の中で頂点に立つものなのでやはり大きく違うのです。

 

今回の風流踊りでも全国津々浦々様々な形がありますが、代表例とする一部分のみが登録されたにすぎません。

それもあって、これも風流踊りではと思われるものでも登録されていなかったりします。

従って登録されていないからといっても価値が低いわけではなく、登録されていないものも含めて風流踊り全体を捉え大切にする必要があるのです。

 

ただ、こうなると無形文化遺産がかなり曖昧なくくりに思えてきます。

そもそも「自分達にとって」という評価なのに、それを他人に認めてもらう仕組みにも少し矛盾があるかもしれません。

 

何の為に登録するのかは世界遺産でも問題になりますが、やはり無形文化遺産でも同じなのです。

この問題にどう答えるのか、無形遺産の場合は特に「自分達にとって」その文化がどういう存在でどう在るべきかを考えることがまず肝心かと思います。