安土城考古博物館は、残念ながら滋賀県でも行きにくい方の博物館でしょう。
公共交通機関がほぼなく、基本的に安土駅から徒歩しかない上にそこそこ離れているからです。
レンタサイクルを借りる手もありますが、ゆっくりと見学するのなら貸し出し時間が長くなり少し悩ましいお値段になります。
なので、やはり博物館へ行くなら徒歩が基本です。
幸い道は平坦ですし、道順も全く難しくなく迷う可能性はほとんどありません。
グーグルマップにて距離を測ると2.1㎞、歩行時間は26分です。
私が実際に歩いても、大体30分くらいで着くので体感でもその位かと思います。
ちなみに、安土駅にはレンタサイクルは3軒あり値段は以下の通り同じのようです。
また、電動自転車なども値段が上がりますが借りられる所もあります。
軽快車:2時間500円、3時間700円、5時間以内1,000円、延長1時間ごとに300円
さらに、安土城考古博物館のホームページ中にあるアクセスマップの項目で100円引きの割引券を入手できます。
なお、2時間を超えることと印刷して持って行くことが条件なので気をつけてください。
私もスマホで表示すればいいかと勝手に思い込み、断られたことがあります。
安土城考古博物館までの徒歩での道順
安土駅の改札は1つなので迷うことはありませんが、出てすぐにこの道順で最もややこしいものがあります。
それが下の看板で、見ると安土城考古博物館は左とありますが徒歩なら北口の右が正解です。
北口には織田信長の像や観光案内所があるので、それらを目印にするといいかもしれません。
北口を出てからは、まず線路沿いを能登川方向に歩いてください。
この線路沿いを能登川方向というのが博物館がある大体の方向なので、意識しておくと道が分かり易いかと思います。
そして、ここで必ず確認して欲しいことが水分の確保です。
駅周辺には写真の様に自販機がありますが、ここが飲み物を確保できる最後の機会になります。
ここ以外に道中にも博物館にも自販機は無いので、買い逃すと本当にやばいです。
もちろん、博物館には喫茶店があるので一服できます。
ただ、博物館への道中には日差しを全く遮るもののない極めて暑い道がずっと続きますので水分を持ち歩く方が安全です。
特に夏場は本当に暑く危険ですので、何処でもいいのでとにかく水分を確保することを本当に強くお勧めします。
ちなみに、トイレも道中にはありませんので気をつけてください。
さて、水分の確認を終えたらそのまま駐在所やお寺の前を通る線路沿いの道を進んでください。
すると突き当りに博物館の看板がありますので、その通り左に曲がります。
左を曲がってすぐ、次の丁字路を今度は右です。
ここにも看板がありますし、お地蔵様方も目印になるかと思います。
ここから住宅街で人が写りこみやすいので写真は差し控えますが、少し坂を下った突き当りを左、次の丁字路を右に行けば直ぐに抜けられます。
そこまで大きな住宅街ではないので、先に見える写真の高架下を目指すと簡単です。
さらに、この高架下をくぐりそのまま両側に田んぼが広がる道を進んでください。
さて、ここまでくるともう後は簡単で実はこの時点で遠くに特徴的な建物の博物館が見えます。
つまり、とにかくこの田んぼの道を突っ切りどん突きまで行った後に右に曲がり線路を超えるのがこの後のざっくりとした道順です。
そんな道案内もいらない様な場所なので、一見すると何もないように見えるかもしれません。
しかし、実はこの風景には歴史的に非常に重要なあれこれが詰まりに詰まっているのです。
まず、右手に見える山は繖山で今は観音正寺がありますが、かつては観音寺城が聳えていました。
ちなみに、観音正寺を押しのけて観音寺城が出来、城が無くなってから寺がまた山の上へと戻ったというのがおおまかな歴史の流れになります。
そんな観音寺城を築いたのが六角氏で、一族の六角定頼を天下人に見なす人がいる程に戦国時代の初め頃は絶大な権力を誇っていました。
実際、その権力を恐れて時の将軍から討伐軍を出されたこともあります。
一方で将軍が都を追われた際にはかくまうこともあり、同じく繖山にある桑実寺にて一時期臨時の幕府がおかれる形にもなりました。
しかし、六角氏の権勢は家臣の統制が効かなくなることで弱体化していき、最後は織田信長に城を追われ甲賀に落ちのびるもその後はかつて程の活躍はしていません。
そして、その織田信長が後に築いたのが左手に見える安土山の安土城です。
なお、現在は織田信長の菩提寺とされた摠見寺の境内に含まれています。
こうして実際に見ると、随分近い所にお引越ししたことが分かるでしょう。
また、山を見ても安土山の方が小ぶりで城としては観音寺城の方が強く見えるかもしれません。
なので、何故信長はそれでも安土城へと移転したのかが1つの疑問として浮かびます。
その理由としてまず挙げられるのが、湖上交通の支配強化です。
今は周りに田畑が広がるばかりで分かり難いのですが、かつての安土山は琵琶湖の内湖に突き出た半島状でした。
そのため、琵琶湖から安土城へは船で乗り入れることも可能な程琵琶湖に近かったのです。
ただ、それらの内湖は戦後の食糧難などもあり干拓され今はほとんど消えてしまいました。
けれども塞翁が馬と言いますか、その際に大中の湖南遺跡が発見されたのです。
この遺跡は、特に弥生時代の農耕集落を知る上で重要な手がかりをもたらしてくれました。
さらに、同じく考古関連の遺跡として近江三大古墳と評される安土瓢箪山古墳という前方後円墳があります。
こちらは繖山の尾根が分かれて伸びた先っぽにあり、近江の古墳時代を語る上で欠かせない遺跡の1つです。
あるいはヤマト王権とのつながりも考えられるので、その観点でも重要とされます。
ただ残念ながら大中の湖南遺跡は安土山の向こう側、安土瓢箪山古墳は住宅街に囲まれている為、ここからではよく見えません。
そして、観音寺城跡、安土城跡、大中の湖南遺跡、安土瓢箪山古墳、これら4つを博物館では主なテーマとして扱っています。
何れも近江だけでなく、日本の歴史の中でも大切になる史跡達です。
さて、これでもかなりざっくり簡単にまとめたのですが話が長くなってしまい申し訳ありません。早速道案内に戻ります。
それで田んぼの端まで来たら、用水路を超えて次は右に線路へ向かって進んでください。
ちなみに、用水路の左側はかなり自然なままですがここは安土城の堀の名残りとされます。
よく見ると安土山の尾根方向と平行に進んでおり、当時の面影を感じられるかもしれません。
さらに、曲がった後はそのまま線路をくぐり次の交差点まで進んでください。
すると、目の前にいくつか建物が見えるかと思いますが一番左の建物が安土城考古博物館です。
そして、その交差点を左に曲がりひたすら道なりに進むと博物館につけます。
途中右に曲がる上り坂辺りで飛び出し坊やがお出迎えしてくれていたり、次回の催し物の案内板があるので目印になるでしょう。
長い道のり本当にお疲れさまでした。
先の歴史の話は本当に簡単なものなので、ぜひ博物館でじっくりと調べてみてください。