湖国探遊記

滋賀の歴史や文化をあれこれしてます

日本の文化財建造物は使い回されるし移動もするので歴史を知ると面白い

日本の歴史的な建造物は、よく使い回されてきました。

あの寺は元々あそこにあったものだとか、あの門は元々は何とか城のものだったとか、実に様々な建造物が使い回され移動しています。

 

これは日本文化の大きな特徴で、極めて古くからそうしたことが行われてきました。

例えば平城京大極殿は元々は藤原京のものと言われていますし、その後さらに恭仁京に移され、都が平城京に戻った際には恭仁京に置いてかれ山背国分寺の金堂として使われたのです。

これらの経緯がどこまで本当であるかは、まだ確定されたものではありません。

 

しかし、事実であるならば物凄い転職実績ですし激動の建物生と言えるでしょう。

ちなみに、9世紀の終わりにこの建物は消失してしまったので今はありません。

 

また、こうした建物の変遷があることが欧米の石の文化と大きく違う所で、文化財の保護関連でも注目されることが多い題材です。

要するに真実性の問題で、石やレンガで出来た建造物に比べ木の建造物は変化が大きいので中々にそこら辺がややこしくなってしまいます。

修理でも、新しい部材に取り換えていくと元々の部材が無くなるなどの問題があるのです。

 

ここら辺は文化財保護だけでなく、文化財における本物とは何かを考える上でも重要になります。

文化財では昔から変わっていないことが重要であるかの様によく言われるのですが、大抵の場合で厳密に考えれば考える程にその言説はぼろが出るのです。

なので、そうした言説に縛られ過ぎずに文化財の価値を考えることが大切かと思います。

 

むしろ、その変遷が面白いものも沢山あるのです。

滋賀の建造物で言うなら、彦根城はその最たるものでしょう。

彦根城は近世城郭の到達点ともされますが、それを正に体現したお城になっています。

なぜなら、滋賀のお城が彦根城に文字通り集合した集大成だからです。

つまり、伝承も含みますが彦根城には安土城坂本城佐和山城、大津城、長浜城などから部材を持ってきています。

そこを知って見ると、何だか彦根城が凄く感慨深い存在に思えるのです。