湖国探遊記

滋賀の歴史や文化を中心に、たまにそれ以外も

滋賀の歴史や文化は何処で学べるか?公開講座がある博物館について

滋賀に限らず歴史や文化を独学だけで進めようとしても、まず限界が訪れます。

やはり、誰かから直接教えてもらえるのが一番の方法でしょう。

そんな時に助かるのが、博物館等で一般向けに開催されている公開講座です。

 

しかし、それらは知らないと中々見つけ出すのが難しいという矛盾があるかと思います。

私も最初は何処で何が開催されているか、全く分かりませんでした。

そこで今回は自身の備忘録を兼ねて、そこそこ定期的に公開講座を実施している滋賀県の博物館を8つ紹介します。

大津市歴史博物館

一番おすすめの博物館が、この大津市歴史博物館です。

開催される講座の数が多く、何よりそこまで交通事情が悪くないのが凄く助かっています。

ほんと、滋賀の博物館はこの交通事情が苦しいのです。

 

開催される講座は、全般的に言えることですが博物館の場合はその趣旨や展示内容に沿ったものが多くなります。

例えばこの博物館の場合は大津を中心とした展示が多いので、講座もそれに従う傾向があります。

ちなみに、ここでは公開講座のことを「れきはく講座」と銘打って開催しています。

 

また、特別展などに合わせて講座が開催されることが多いので、気になる展覧会があれば合わせて行ってみると良いかもしれません。

 

さらに、ここでは「れきはくカード」という特典付きの定期観覧券を発行しています。

特典内容は、次の通りです。

  • 展覧会の観覧(常設展と歴博主催の企画展)
  • 図録等の割引
  • 催し物の案内
  • 聴講料の割引

料金が大人2,000円なのでやや高めに感じますが、複数回講座に参加しついでに展覧会ものぞいて帰れば十分すぎる程に元が取れます。

講座だけなら9回以上、その都度展示も見るようにすれば4回くらいでお得になるでしょう。

 

なお、これらは2022年8月時点の情報です。

より詳しい情報などは、公式ホームページがあるのでそちらで確認するようにしてください。

安土城考古博物館

ここは安土城と考古とある様に、戦国時代近辺と縄文から古墳辺りに関する講座が多いです。

もちろん、特別展などが開催されている際はそれに準じた内容の講座も開かれています。

 

分野がやや狭い様にも感じられますがその分中身が充実しており、こうした時代に興味があるならおすすめです。

滋賀全域の遺跡や安土城などを扱っているのは、滋賀でもそれほどないかと思います。

こうした、ちょっとマニアックなお題を扱ったりするのも他には無くてまた良いです。

 

また、たまにですが近くの安土城などの史跡を案内する企画も行っていたりします。

ただ、回数自体はそれほど多くはないので、気にして情報を追いかけないと見落とすので注意してください。

琵琶湖文化館

残念ながら琵琶湖文化館自体は休館中で展覧会などは開かれていません。(2022年8月時点)

しかし、他の博物館に収蔵品を貸し出し連携して企画展を開催したり、近くの会場を借りることで公開講座も行ったりしています。

 

その公開講座が、文化財講座「花子さんの打ち出のコヅチ」です。

この講座は主催や後援がしっかりとついている為なのか、なんと参加費無料で受けられます。

ただ、1年を通して6回程度しか開かれないので回数はそれほど多くはありません。

 

内容としては滋賀の仏教文化信仰文化に関するものが多く、後は滋賀に関するものが入ってくるといった具合です。

開催される年によって、内容に他と比べてばらつきがよりあるように感じられます。

 

さらに、最後の一回は現地に行って色々と巡る企画があるのです。

これに参加する場合、現地にて入館なりするとお金が必要だったりします。

詳しくは、やはり「琵琶湖文化館」か「花子さんの打ち出のコヅチ」で検索してみてください。

銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)

この銅鐸博物館で開かれる公開講座は色々とあって、滋賀に限らない歴史講座と企画展に関連した講演会、あとは郷土に関する講演会などを開催しています。

 

この様な具合なので、どの様な公開講座かは調べてみないとよく分からないことが多いです。

 

ただ、銅鐸と野洲市歴史民俗という名前から分かる通り、この周辺の話題が多い印象があります。

特に銅鐸に関する講座は、滋賀県以外でもあまりないでしょう。

彦根城博物館

彦根城らしく、彦根藩、井伊家、あるいは井伊家が集めた美術工芸に関する講座が多いです。

とにかく彦根を推している、そんな印象があります。

 

また、江戸時代をここまで中心に扱う博物館は滋賀にはあまりないと思うので、そういう意味でも個性的な博物館です。

 

さらに、復元された表御殿もあって中々に見ごたえがあります。

彦根城の袂にあるので、時間があるのならぜひ合わせて行ってみてください。

長浜城歴史博物館

この博物館では、長浜や近江に関する多彩な講座を開催しています。

 

もちろん、長浜城いう名前の通り企画展で扱われるお題は戦国時代辺りが多くなっています。

そのため、講座もそれに関連する内容のものが一番多いです。

やはり、この辺りは戦国時代に様々な歴史が紡がれた場所ですから本当に話題に欠きません。

 

一方で、この地域ならではと言える北近江の文化や歴史も良く取り上げられています。

さらに、友の会会員限定の講座等もあり、そこでは現地での見学会も開催しているのです。

浅井歴史民俗資料館

ここは本当に小さな資料館ですが、意外と頑張っていて戦国時代や縄文、弥生、さらには戦時中の出来事に関する講座などが開催されています。

中でも小谷城関係はよくお題になっており、浅井関連に興味があるのならおすすめです。

 

また、地域の歴史や文化にぐっと焦点を絞った講座もあり、ここ以外では取り扱うきっかけが無く出来ないのではと思ってしまいます。

観峰館

ここは特に変わった博物館で、書の文化を中心とした展示をしています。

そのため講座もそれに準じた形で行われるので、滋賀の話かと言われるとそうではありません。

 

しかし、年に一回ほどは地元や近江に関する企画展も行っており、そうした際には関連する講座が開かれることがあるのです。

なので、回数自体は少ないですが少し変わった視点から滋賀の話が聞けるので、これもまた中々に面白いかと思います。

滋賀を巡っていても廃仏毀釈の影響を今もよく見かけることについて

明治より始まる日本の近代化は、文明開化など日本が豊かになっていく良い印象を持たれることが多いかもしれません。

しかし、それまであった日本文化にとっては試練の時代でもありました。

むしろ、今現在見聞きする日本文化はこの頃に定式化されたものが少なくないのです。

 

つまり、それまでのものと今に伝わる日本文化では明らかな違いがいくつも見られます。

中でも大きな変化を生み出した要因の1つが、廃仏毀釈という全国各地で起きた大事件です。

 

この事件は、明治政府が出した一連の通達である神仏分離令を発端として全国各地で同時多発的に起こりました。

ただし、それぞれの騒動を主導した人物も起きた経緯や出来事も全国各地で様々と、非常に複雑で総じて言うことが難しい事件です。

なので今回は結果だけ言うと、これによって神様と仏様が混じり合う神仏習合から、神道と仏教とより明確に分かれた今現在の形になりました。

 

そして、その影響が今でも各地で見られ、滋賀においてもやはり見つけることが出来るのです。

 

例えば日吉大社延暦寺は極めて苛烈な仏教排斥がなされた場所で、廃仏毀釈が最初に起きた場所としても知られています。

これにより延暦寺では多くの仏像や仏典などが焼かれ、日吉大社でも神輿の鏡に刻まれた仏教的な名前が削られるなど徹底して仏教色を排除したのです。

 

こうした破壊活動が行われる一方で、仏像達を守る動きもありました。

その1つが多賀大社で、確かに境内に多くあった仏教に関する建築物が失われるなどしましたが、仏像の一部は周辺の寺院に移され生き残っています。

また、鐘楼が境内に今もありますがこれは大きすぎて引き取り手がつかなかったからだそうです。

 

この様に廃仏毀釈と言っても、その内実は滋賀県内だけでも様々に異なります。

今回上げた日吉大社延暦寺多賀大社の事例も実の所ほんの一部分にすぎません。

 

知れば知る程に様々な面が見えてくる、それ故に廃仏毀釈は非常に理解が難しいのです。

そもそも、記録が余り残されていなかったりもします。

 

そのため、こうした最早断裂と呼ぶべき変化があったことを知っておくことが重要です。

今ある風景がそのまま昔につながるのではなく、もしかしたら大きな違いがあるのかもしれない。

そう頭に止めておけば、見逃さず気づけることが増えるのではと思うのです。

寺伝や社伝などの伝承はどの程度信用できるのかという問題について

歴史などを学びながら色々と巡っていると、寺伝や社伝などの伝承の扱いをどうしようかと思ってしまいます。

これらは事実とするには難しいものもあり、かと言って全く無視するのも出来ない存在なのです。

 

結論から言うと、大体次の通りにしています。

  • 大前提として史実は史実、伝承は伝承と分けて考える
  • 史実を示す、より確かな根拠をまずは優先する
  • その上で、伝承の示す内容や生まれた背景などを考えていく

 

例えば伝承には起こった出来事が反映されていると考えられたり、そのまま事実であるかのように受け止められたりします。

しかし、伝承はそれだけだと何とも言えないのがほとんどなのです。

 

まず、何かの出来事が反映されているとして、どう読み取ればよいのかという問題があります。

つまり、何かしらの解釈をしてしまうとその解釈が正しいのかどうかという問題が生まれてしまうでしょう。

つまり、史実の資料としては極力解釈を入れずに読み解ける方が良いのです。

 

さらに、その伝承がいつ出来上がったのかという問題もあります。

その伝承自体は昔からあると言っても、史料としてまとめられたのがその出来事が起きた時よりも後なら変質してしまっていることも考えられるのです。

そもそも、後の時代に勝手に作られた可能性だってあるかもしれません。

 

その上、誰が言い始めたのかが分からないことも問題になります。

やはり当事者が語るのが一番正確で、それより後は伝言ゲームの様に精度が悪くなるのです。

 

こうした問題があるので、まずは史実と伝承は分けて考えるのを基本にしています。

 

ただ、そうは言っても何故この様な伝承が残っているのか気になるのも性というものです。

なので、伝承を検討する為の土台としてより固い史料をあれこれ持ってくるようにします。

この土台を基準に据えて、ここはいい線をついてそうとか、あそこは明らかに矛盾しているとか、そうしたことを考えていくのです。

 

そして、こうした検討により史実として的外れと考えられても、意外で面白い事実に行きつくのが伝承の面白い所の1つでもあります。

 

例えば東近江市周辺には、聖徳太子が関与する伝説が多くあるそうです。

しかし、聖徳太子がこの地にきて何かをしたとは到底考えられません。

そのため、こうした伝説が多く残ったこと自体が1つの疑問として浮かび上がります。

ここを追求すると、地域の信仰文化に関わる話に繋がるのですがそれは別の機会にしましょう。

 

伝承は史実よりも物語として上手く出来ており、その魅力もより高く面白い存在です。

ただ、その魅力にとらわれ過ぎては妙になことになってしまう厄介な存在でもあります。

やはり、伝承はいい塩梅で楽しむことを常に考えるのが肝心です。

行ったら見てしまう神社の歴史を語るあれやこれ

神社へ行くと直接行ったからこそ見つけられる、あるいは確認できることがいくつかあります。

中でも神社の歴史や文化、意外な人との繋がりなどは、例えば次の所を見るとうかがい知ることが出来るでしょう。

  • 神社の歴史を記した案内板
  • 扁額や石柱、灯篭、狛犬など寄贈されたものに刻まれた名前
  • 神輿などを収めているあろう倉庫

一つ目は当たり前かもしれませんが、間違いのない神社の公式見解として大事なものになります。

ネットでは情報源にやや不安があったり、宗教事なのもあって主観がかなり含まれたりするので、基本となる情報源が必要なのです。

そもそも、滋賀の中には神社の公式ページが無い所もあるので唯一の手掛かりになったりします。

その場合は地域の人に話が聞ければいいのですが、そう毎度上手くは出会えません。

 

次に寄贈されたものに刻まれた名前では、人や団体との関係から神社だけでなくその地域の歴史も垣間見られたりします。

 

例えば大津の建部大社には参道の両脇に小さめの柵があり、その柱に寄付した方々であろう名前が刻まれています。

その中に三洋電機株式会社と書かれた柱が、駐車場から参道の入口、手水舎の近くにあるのです。

三洋という今や懐かしい名前がここに残っている理由は、おそらくですがこの近くに大きな工場がかつてあったからではないかと思われます。

JR琵琶湖線石山駅と瀬田駅間の瀬田川を渡る橋の瀬田駅側一帯、今のホームセンターや家具屋が固まっている所に工場がありました。

 

この様に有名な人物の名前だけでなく、意外な名前が残されていることもあるのです。

さらに、それを調べてみると神社だけではないその周辺地域について思わぬ情報を得られます。

 

そして、意外と重要なのが神社にある倉庫になります。

なぜなら、倉庫そのものや扉の大きさから中のものの大きさが類推でき、収められているであろう神輿などの大きさが推測できるからです。

もちろん、倉庫が大きいからと言って中のものが立派とは限りません。

また、神輿ではない可能性もあるでしょう。場合によっては曳山かもしれません。

しかし、一応は一つの目安になります。

 

この神輿などの大きさが何故重要かというと、下世話な話になりますがまずはそれだけお金のある神社かどうかの参考になるからです。

もしかしたら、お金があったという過去形かもしれません。

ただ、いずれにせよ影響力の大きさなどを推し量るのに役立ちます。

 

あるいは、かつての地域の経済力を垣間見ることも出来るのです。

滋賀だと、例えば近江商人の出身地の1つである五箇荘に凄く立派な倉庫を持つ神社が同じ地域に複数あったりします。

地元の人に聞いてみると、やはりかつてお祭りで使われたそれは立派な神輿があったそうです。

残念ながら今は完全に田舎なのですが、こういう所を知っておくと在りし日に思いをはせることが出来ます。

 

あと、神輿などの存在を確認出来ればどの様な祭りがあるのかの参考にもなります。

 

せっかく足を延ばして遠くの神社に行ったのなら、出来るだけ色々見て帰りたい。

そんな思いから今回の様に頑張っているのですが、やはりまだまだな点も多いのでもっと見るべき箇所をこれからも増やしていきたいものです。

石山寺や多賀大社など近江に残る平城京や南都とのつながりについて

滋賀、昔の名で言うなら近江は道の国と言われるだけに様々な地域の影響を受けてきました。

そのため、近江の歴史や文化にはそれらの痕跡が今に残ります。

また、その時代と共に積み重なった影響を紐解いていくと、より広範な日本文化や歴史にも繋がる面白さもあるのです。

 

その中でも大きなものの1つが、奈良、平城京や南都との繋がりでこれらはより古くからの交流がありました。

 

特に東大寺関連のお話は本当によく残っていて、深いつながりを感じられます。

例えば東大寺の建材として甲賀の材木が使われた様に、中央政権は古くからこの地域との関わりを持っていました。

それもあって、金勝寺や飯道神社など奈良に縁のある古社寺がこの辺りには多くあるのです。

ちなみに、大仏建立の詔が最初に出されたのは紫香楽宮でした。

 

また、東大寺での大仏建立に際して良弁僧正が石山の地にて鍍金の為の黄金が得られる様に祈った伝説もあります。

そして、祈願が果たされたので念持仏を岩から動かそうとしても動かない為、草庵をそこに建ててお祀りしたのが石山寺の始まりとされるのです。

 

時代が下り南都焼き討ちからの復興が始まる頃には、今度は多賀大社と重源のお話が出てきます。

これは重源が復興を命じられた時、既に60歳を超えていたため無事務めを果たせるよう延命長寿を願ったという伝説です。

この話は伝説ということにはなっていますが、多賀大社のすぐ近くの水沼荘が東大寺の荘園となっていました。

さらに、そこにあった敏満寺に五輪塔仏舎利など重源ゆかりの宝物が寄進され、今は胡宮神社に伝わっています。

こうした繋がりもあるので、重源が多賀大社を訪れていたとしても全く不思議ではないでしょう。

 

この様に様々な事物が残っている上、祭りの形でも繋がりを感じられるものが伝わっています。

それが、湖北により集中して残るオコナイという祭りです。

 

このお祭りは、おそらく東大寺の修二会の影響を受けたものであろうとされます。

ただ、オコナイと一言で言っても内容が村ごとに大きく異なり、パッと見ただけでは同じ祭りとは思えません。

なので、影響の度合いや受け方も様々なのかもしれません。

 

そもそも、修二会も仏教の悔過行事を核に神道密教など様々な宗教行事が複合して出来上がった非常に複雑な法会です。

よく言われる「お水取り」が分かり易い例で、これは法会中に行う儀式の1つを元々は指していて神道的要素の強いものになります。

こうした複合的な祭りだからこそ、より多様な変化を遂げたのかもしれません。

 

この様に滋賀には今も奈良とのつながりが多く残るのですが、そのままではなく独自の展開をした文化になっていたりするのも興味深く面白い点です。