琵琶湖は何処から見たら琵琶の形に見えるのか?
この疑問に対し、手掛かりも無いので原点に立ち返ってみることにしました。
つまり、文献上最も古く琵琶に例えたとされる比叡山の僧、光定は何故その様に思えたのかです。
もちろん、実際に見た琵琶湖の形からその様に思ったのかは分かりません。
それでも、もしそうならこの文献が記された14世紀頃は今の様な測量技術も無かったので、やはり高い所から望むことで地形を把握したと考えられます。
そこでまず光定ゆかりの比叡山からの眺めを考えてみたのですが、案外これが一番上手くいきそうなのです。
ただ、実際に光定どこから見たかまでは流石に見当がつきません。
そこで、とりあえず坂本ケーブルの延暦寺駅に行って眺めてみると、琵琶の形だと言われればそう見えなくもないのです。
少なくとも、これまで見てきた琵琶湖の眺めの中では最も琵琶の形に近いと思います。
しかし、これでは個人的な感想止まりです。
そこで何故その様に見えてしまうのか、それを今回は次の2つの視点で推察し少しだけ前進させてみました。
- 山の陰で余計な部分が見えなくなる
- 遠近感による大きさや形の誤認
山の陰で余計な部分が見えなくなる
延暦寺駅は絶好の眺望ですが、一部が山の陰に隠れ琵琶湖全体は望めません。
それは琵琶湖の北端のギザギザした辺りで、おおよそを地図で示すと安曇川の河口と姉川の河口を結んだ線より北の方が見えなくなっています。
何故の様になるのかというと、次の2つの要因からこの部分が山の陰に入ってしまう為です。
- 琵琶湖が真っ直ぐではなく、「く」の鏡文字状に折れた形をしている為
- 湖西では湖岸近くまで山が張り出している為
まず、地図にて琵琶湖全体を見てもらえると分かる通り琵琶湖はおおよそ「く」の鏡文字状の形をしています。
さらに、この折れ曲がった先が延暦寺駅からは湖岸まで張り出した山の陰に隠れて見えなくなってしまうのです。
これは衛星画像で白髭神社辺りを見てもらえれば、湖岸まで緑が迫っておりその様子が分かるかと思います。
この様にして、北端のギザギザした辺り一帯がが延暦寺駅からは見えなくなってしまうのです。
実際に地図上でこの部分を隠すと、そこそこ琵琶の形に近づくように感じられます。
ただ、それでも北湖が南北方向に長細く、南湖の方は柄として考えるなら短すぎる為、まだ琵琶の形には程遠く思えるかもしれません。
(北湖とは琵琶湖大橋より北の部分、南湖は南の部分を差します)
そこで、今度は遠近感による錯覚が大切になってくるのです。
遠近感による大きさや形の誤認
人は見ている物体との距離の違いにより、見え方や感じ方が異なってきます。
例えば手前のものほど大きく感じられ遠ければ小さく見えるなどの、遠近感による効果です。
他には、見ている物体との距離が遠い程に距離感が失われてしまい奥行き方向の距離が実際よりも短く感じられる圧縮効果も実はカメラだけでなく肉眼でも起きます。
こうした効果により、延暦寺駅からの景色には3つの錯覚が起きているのではないかと思います。
- 南湖は南北方向を水平方向として目の前に広がるので、実際よりも細長く見える
- 南湖の方が北湖よりも近くにあるので、面積の差が実際よりも小さく見える
- 北湖では南北方向に圧縮効果が働き、東西方向との差が縮まった様に見える
まず、延暦寺駅では南湖が目の前に広がり南北方向が水平方向になる為、視界に収まりきらない程細長い姿に見えます。
また、北湖がより遠くに見えるので目の前の南湖との面積の差がかなり分かり難いです。
実際だと北湖は南湖の約11倍と圧倒的に大きいのですが、それ程違うとはまず思えません。
さらに、延暦寺駅からだと北湖は南湖に向かって左手奥に広がるので、北湖では南北方向が奥行き方向になるのです。
そのため、北湖では奥行き方向の南北方向に圧縮効果が働き実際よりも短く見えてしまいます。
一方の東西方向はより手前のもので幅を感じられるので、それよりは縮まって見えません。
これにより、北湖は地図とは違いより丸みを帯びた形に見えるのです。
もちろん、人には見たままが実際の姿だとは思わず補完し元の形を想像する能力があります。
ただ、それでも実際の姿を正確に再現しきるまでにはまず至らないので、個人差はあれども錯覚に引きずられた形に思えてしまうでしょう。
つまり、これらの錯覚によって南湖は柄らしい細長い形に、北湖は胴らしい長細過ぎない楕円形に思えてしまうのではないかと考えられるのです。
最後は弁財天信仰が鍵か
ここまで推察してきた延暦寺駅から見える琵琶湖の形をまとめると、次の通りです。
- 北湖は地図よりは東西と南北方向の距離の差が少ない楕円形
- 南湖は地図よりも北湖との大きさの差が少ない長細い形
これらの錯覚により、かなり琵琶の形に近いものに思えるのではないかと思います。
ただ、最終的に琵琶の形に思い至るには心理的な要因も必要になるかと思います。
つまり、無意識にかもしれませんが、弁才天信仰の中心地であった琵琶湖と弁才天とのつながりを求めたからこそ琵琶という発想が生まれたのでしょう
そのため、こう言っては元も子もありませんが明確に琵琶の形である必要はそもそも無いのです。
しかし、それでも全く違う形をこじつけることは流石に出来ません。
そう言われればそう見える、それ位は最低限似ている必要があるかと思います。
また、当時は正確な測量をした地図も普及していませんからそれでも押し通せるでしょう。
そして、延暦寺駅から見る琵琶湖の形はそれを十分以上に満たしているのではと私は思います。
こればっかりは感覚の問題になるので、どうしても説明し切れないのが口惜しいです。
琵琶湖の見方
結局、今回示せたことと言えば実際に琵琶湖を見れば錯覚などによって琵琶の形に見える可能性があることだけです。
そもそも、琵琶湖と言う名前が琵琶も形だけに由来しているのかも議論の余地があります。
例えば琵琶湖の呼び方が一般に広まるのは、光定よりもずっと後の江戸時代とされているのです。
それまで琵琶湖は様々な呼ばれ方をしており、なぜ琵琶湖と言う名前が定着したか自体も追及する必要があります。
なので、琵琶湖の名前を探るのに琵琶の形だけで話をまとめるのはやはり難しいでしょう。
それでも、昔の人がどの様に琵琶湖を見て何を感じていたのかは重要です。
文献だけだとこれが今一理解し切れないので、あれこれ想像してみるのも面白いかと思います。