湖国探遊記

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琵琶湖が琵琶の形に似ているという由来はよくよく考えると謎、どこから見たん?

琵琶湖という名前の由来について、最も有名なのが琵琶の形に似ているという説でしょう。

しかし、これはよくよく考えるとすごく不思議に思えます。

 

なぜなら、琵琶湖は大きすぎてまず全体像がよく分からないからです。

おそらくですが、滋賀のどの山に登っても端から端まできっちり見え、かつ琵琶の形と似ていると納得できる場所はないでしょう。

少なくとも、そう言われているからそう見えるの域にとどまるかと思います。

何と言うか、上から全体を見下ろせるのではなく、浅い角度で斜めから見る感じになるのです。

 

もちろん、琵琶の形に似ている説を否定したいわけではありません。

要するに、飛行機も無く、高い所から見渡しても全体像を把握し難いのにも拘らず、どの様にして琵琶の形をしていると思い至ったのかが気になるのです。

 

まず、この琵琶に似ているとの記述は古いもので14世紀前半の「渓嵐拾葉集」に出てきます。

この書物は、比叡山の僧侶である光定によって書かれました。

なので、光定はおそらく比叡山から琵琶湖を眺めていたのだろうと思います。

ただ、比叡山は琵琶湖の下の方なので余計に全体像の把握が難しくなるでしょう。

 

ならばどの様にしてと思うのですが、これはもうひらめきでしかなかったのではと想像されます。

比叡山の近くは太さが変わらず細長いが、堅田辺りで急に膨らみ始め、それ以降もずっと太い、これは正に琵琶の形だ」といった感じだったのかもしれません。

 

むしろ、ざっくりとした認識だからこそ琵琶の形に思えた可能性もあります。

また、光定は特に僧侶なので感得したと言った方が良いかもしれません。

いずれにせよ、視覚ではなく、想像力をもってして琵琶の形にたどり着いたのではと思います。

なお、光定が一番最初に琵琶に似ていると言い始めたかは分かりません。

 

それでも、こうした認識は受け継がれ17世紀末に貝原益軒が日記の中で琵琶湖全体の地形に触れ、琵琶に似ているから琵琶湖と呼ばれるといったことを記しています。

また、琵琶湖という呼び方が一般に定着したのもこの江戸時代の頃になってからです。

これには、竹生島弁才天信仰が流行したことなどが理由によく挙げられます。

 

しかし、竹生島弁才天には琵琶を持ってないものも多いのがやや引っかかる所です。

一般的には琵琶を持った弁財天の印象が強く、竹生島の方は押し流されて広まったのでしょうか?

何だかもやっとした疑問が残りますが、確かに何らかの流行が無いとここまで定着しなかったとは思います。

なぜなら、琵琶湖には淡海の海や鳰の海と別名も多く、それらを淘汰するには勢いが不可欠です。

 

琵琶湖という名前の由来は当たり前に語られていますが、この様に少し掘り下げると色々な疑問が湧いてくるのです。

 

【2023年1月16日追記】

色々と考えを巡らしてみた結果、私の中で今の所一番琵琶湖が琵琶の形により見える地点についてまとめてみました。

もしよろしければ、合わせて読んでみてください。

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