武甕槌命の御霊を背に乗せた白鹿に伴い、鹿島神宮から鹿達が春日大社にやってきた。
そんな神話が、春日大社の創建神話として今に伝わっています。
神話なので鹿達がどの様に来たのかは分かりかねますが、例えば空をぴゅーっと飛んできたなんて想像されるかもしれません。
実際、神話だと白鹿は御笠山の浮雲峰に降り立ったとされています。
しかし、滋賀の立木神社には春日大社に向かう際に立ち寄ったとする創建神話があるのです。
簡単に神話のあらましを言うと、武甕槌命が諸国を巡りこの地に来た際に手に持っていた柿の鞭を地面に刺し占いをしたそうです。
すなわち、この木が植えつくのなら大和国にある御笠山の春日大社に末永く鎮まるとしました。
すると柿の木は見事に根差して枝葉が茂ったそうで、ここから立木神社と呼ばれるようになったと伝えられています。
ここで中々に重要なことを占っているのも驚きですが、何故わざわざ来たのかも気になる所です。
何をしにここへ寄ったのか、あるいは諸国を巡っていたのか、神様なら目的地までひとっ飛びでも良いのではと思ってしまいます。
ここで想像されるのが、もしかしたら神話の原型となった出来事があるのかもしれないことです。
つまり、どこの誰かは分かりませんが鹿島神宮から春日大社まで鹿か何かを引き連れ向かった人がいたのかもしれません。
当然、これは私の妄想でしかないです。
ただ、実際に立木神社は東海道沿いにあります。
さらに、同じく東海道沿いの近江国庁近くに若松神社という経津主大神を祀る神社があるのです。
そして、この神社にも創建神話の1つとして経津主大神が春日大社に向かう際に当地に滞在したと伝わっています。
この経津主大神は香取神宮の御祭神で、武甕槌命と同じく春日大社に勧請された神様です。
こうした繋がりを見ると、いよいよ東海道を通ったのかなと想像してしまいます。
東海道を鹿達がぞろぞろと歩く姿はやや怖いですが、遠目から見ると可愛いかもしれません。
ちなみに、近江国庁から奈良へ行くには瀬田川を下るか、田原道を通って宇治田原に抜けるなどの方法があります。
これらは遥か昔より使われてきた方法なので、十分に可能性はあるでしょう。
また、鹿島立ちしてから春日大社につくまで一年をかけたと言われたり、東京都には鹿見塚という向かう途中で亡くなった鹿を祀る塚があったりします。
確かに、茨城から奈良まで鹿の群れを連れて歩けば一年はかかりそうな気もしますし、残念ながら途中で亡くなるのも当然かもしれません。
この様に1つ1つは小さな神話かもしれませんが、繋がるといよいよ大きな物語を描き始めます。
もちろん、実際の話かは分からず想像の域を出ていないことに注意する必要はあるでしょう。
しかし、もしかしたらと思うと想像が膨らみ、遥か昔に思いをはせるのは実に面白いです。