湖国探遊記

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金剛輪寺の別名や愛荘町の地名に残る依知秦氏の名残りについて

金剛輪寺と言えば、湖東三山のお寺として有名で秋の紅葉の時期は多くの人で賑わいます。

また、名前の由来と関連するので天台密教の道場としての歴史も通な人にはよく知られているかもしれません。

 

しかし、今回話題の中心はもう1つの名前である松尾寺の方になります。

この松尾寺は地名に基づいた名前で、この松尾が依知秦氏に関連していると考えられるのです。

 

この依知秦氏は、渡来系氏族の秦氏に連なる一族で先進の土木技術や農業技術によって湖東地域を開発しました。

ちなみに、依知秦氏ゆかりの古墳と考えられる金剛寺野古墳群が愛荘町に残されています。

また、元の秦氏京都盆地の開発に携わっており平安京の造営にも貢献しました。

その痕跡として、本拠地であった太秦の「秦」にその名が残るのです。

さらに、この太秦で有名な神社の松尾大社にも秦氏が関わったとされています。

 

そして、ここで先程の松尾寺の松尾と繋がってくるのです。

これだけだと、ちょっとこじつけ感があるかもしれません。

ただ、金剛輪寺のある山の名前にも秦川山と残るので、やはり秦氏ゆかりの松尾と考えられます。

 

それから、かつてはこの地域の町や村の名前にも「秦」が使われていました。

まず、秦川村がそれで明治の頃に複数の村が合併してできました。

さらに、昭和に秦川村と八木荘村が合併し秦荘町と、ここまでは「秦」が使われていたのです。

 

しかし、秦荘町愛知川町が合併した際に愛荘町となり「秦」は消えてしまいました。

またしても合併かと思うのですが、そうなってしまったものは仕方がありません。

合併で名前が変わり、土地の由緒がわかり難くなることが本当に多いのです。

 

一方で、秦川村が出来るより前だと村の名前に「秦」が使われてないそうなので、元に戻ったとも考えられます。

それに、秦川山や松尾寺の方は今も生き残っています。