湖国探遊記

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安土城ほど伝説が先行し過ぎて実態が分かっていない城はない?

安土城は信長の居城として、やはり日本でも指折りの城かと思います。

非常に豪華な天守閣や近世城郭の先駆けなどなど、象徴的な物語を持っているのです。

 

そうしたことから、安土城は伝説的な城として語られることが多いような気がします。

しかし、その名に比して絵図などの実態を伝えるものがこれほど残っていない城は無いでしょう。

 

特に城下町が無くなってしまったのが、中々に痛い問題かと思います。

例えば長浜城八幡山城などは今も城下町の雰囲気が残る様に、城が無くなったとしても町自体は生き残っているのです。

つまり、城下町が残っていることが城下町経営が上手くいったかどうかの1つの指標になります。

こうしたことから、安土城の城下町経営は結局失敗だったのではという意見もあるのです。

 

もちろん、安土城がようやく完成してからすぐに織田信長が討たれてしまったことや、八幡山城に城下町が移転してしまった影響も大きいかもしれません。

ただ、それでも安土城の城下町経営が実を結ばなかった事実は変わらないでしょう。

 

他にも安土城は石垣を張り巡らした最初の城と呼ばれますが、近くの観音寺城も石垣を多く使ったより古い城として有名です。

ちなみに、観音寺城は城下で楽市令が出された日本で最初の例としても知られています。

 

この様に一つ一つの要素を見ていくと、安土城はやや過大に評価されている所もあるのです。

また、このことは織田信長自身の評価が変わっていることと軌を一にしています。

織田信長も伝説的な評価が多く、その実態と乖離していると最近は言われたりしているのです。

 

なお、だからと言って今までの織田信長の研究が間違っていたという訳ではありません。

これまで知られていなかった事実が明らかになり、より多くの観点から評価出来るようになったと考えるべきです。

 

なので、これからも安土城織田信長の評価がより変わっていくかもしれません。

そして、その変わっていくこともまた一興と余裕をもって楽しむのが良いかと思います。