滋賀ではやはり琵琶湖が目立つので、どうしてもそこを中心とした歴史に目が行きがちです。
しかし、滋賀には多くの川が流れておりそれもまた滋賀の歴史を語る上で非常に重要になります。
例えば甲賀市を流れる杣川は、地味ですが滋賀の宗教史に関わる絶妙な役割を果たしています。
まず杣とは即ち用材を調達する為の山を意味していて、その用材を運び出す際に使われた川なので杣川と呼ばれるのです。
この杣川が使われるのは、奈良時代までさかのぼり東大寺建立の折に使われます。
その証として、甲賀の飯道神社の小さな社が二月堂の側に今も祀られているのです。
そして、さらに時代が下ると今度は天台宗がその用材を使い始めます。
すると、その縁もあってこの地に天台宗の寺院が沢山作られるのです。
そのため、杣川と下流で繋がる野洲川沿いに今も沢山の天台系の名刹が残っており、貴重な仏像の密集地帯になっています。
こうした用材を運んだ川は他にもあり、大戸川などが有名です。
この大戸川では田上山の用材などを運んだのですが、余りにも切り過ぎてはげ山になり土砂災害が頻発するようになってしまいました。
この開発は飛鳥時代から始まっており、日本で最初の大規模な環境破壊とも言われています。
さらに川は歴史の舞台になることもあり、例えば戦国時代には戦場にもなりました。
中でも有名なのは、やはり姉川の合戦でしょう。
この様に滋賀の歴史では川がたびたび登場し、人々の生活に様々な影響を与えたり、歴史の舞台になったりしています。