最近、鎌倉殿の13人にて平知康が鞠を受け取りそこなって井戸に落ちてしまい、助けようとした源頼家も巻き込まれてしまう、ややコントの様な一場面がありました。
この場面だけでも面白いのですが、凄く細かいと思うのが救われた後に平知康が必死で頭を隠していたことです。
これは平知康が、おそらく井戸の中に烏帽子を落としてしまったからかと思います。
つまり、烏帽子を被っていないことが余りにも恥ずかしくて隠していたのでしょう。
この様に、烏帽子を脱げることは今だと下着をはいていない位に恥ずかしいとされていたのです。
この感覚は最早よく分からないのですが、賭け事で負けた男が身包みをはがされても烏帽子だけは身に着けている様子も描かれるほどなのです。
この場面は、東北院職人歌合絵巻にあります。
何故ここまで恥ずかしかったのかについては、色々な説明の仕方があるかもしれません。
しかし、恥ずかしいと思う一番の理由は恐らく論理的なものではなく、最早烏帽子をつけて人前に出ることが至極当然だったからではないかと思います。
つまり、隠すことが常識となった部分が恥部になるという文化的な現象です。
そのため、言ってしまえば気持ちの問題な面もあったのかもしれません。
実際、戦国時代になると武士達は公的な場面以外ではあまり着用しなくなるのです。
被っていても大した利点は無いので、実用性がより重視されたと考えられます。
ちなみに、烏帽子は考古資料としても価値があります。
なぜなら、社会的身分によってその形が違うのでどの様な人がそこに居たのかが分かるからです。
例えば滋賀県内でも、烏帽子そのものや烏帽子を被った人が描かれたものが発掘されています。
この様に烏帽子はただの帽子に見えて、意外と語れる所や役立つ所がある面白いやつなのです。