宗教と言えば、最近だと神社にお参りしたり、葬式で経をあげてもらったりするくらいの関わりが一般的には多いかと思います。
なので、宗教の力と言っても現実的な影響力はやや想像し難くなっているかもしれません。
しかし、中世を始めとした昔の寺院勢力になると今とは全く違う印象を受けます。
なぜなら、現実的に影響を及ぼす経済力、技術力などを有しており、それが社会を大きく動かしているからです。
例えるなら、銀行と大学とが一緒になった様な勢力といった所でしょう。
要するに、昔の寺院勢力が凄まじかったのは単に信仰心が今よりも高かっただけではないのです。
もちろん信仰を元にした力も有しており、例えば境内は基本的に不可侵の領域、アジールとなっていました。
つまり、現実的にも信仰的にも大きな影響力を持ち合わせている存在なのです。
こうしたことから、歴史を学んでいると寺院勢力は本当にヤバイ奴らだとよく感じます。
また、寺院勢力に覚える感覚が今とは全く違うので結構戸惑うことが多いです。
ただ、そうした寺院勢力に対する戸惑いは昔の人も同じ様に感じていたのではとも思います。
例えば戦国武将は寺院勢力の土木技術を借りて、城の縄張りや石垣を築いていきます。
また、寺の境内地が城に使われることもありました。
これは攻めにくい山であるだけでなく、信仰による力を活用する狙いもあったと考えられます。
城がそうした聖域にあれば勝手に領民は拝んでくれますし、不可侵の領域でもあるので心理的にも非常に攻めづらいのです。
この様に寺院勢力が持つ様々な力を戦国武将達は活用していたのですが、やはり反対に牙をむいてくることもありました。
そのため、時として戦国武将は信仰の理想を捨て去り現実問題として対処しています。
言うなれば宗教における理想と現実との絶妙なつり合いを、戦国武将はあれこれ考えているように感じるのです。
しかしながら、この辺の感覚を私は持ち合わせていないので中々に理解するのが難しく思えます。
それでも、実に興味深い問題なのでこれらかも深めていきたいです。