滋賀県には道の国と呼ばれるほど、様々な道が通っています。
それぞれに歴史があるので、それも滋賀を学ぶ醍醐味の1つです。
ただ、道の名前を細かく覚えたりするのはやはり大変そうで中々手が出ません。
なので、まずは何処に繋がっているのか整理してみました。
そうすると意外と少ない数で整理でき、大体次の4つの方面に分けられます。
もう少しざっくり言うなら都とその反対の東方向に分けられて、東方向が日本海、内陸、太平洋の3方面に分かれている様な恰好です。
ここには日本海と太平洋が接近する、日本列島のくびれに位置する強みが発揮されています。
つまり、滋賀県にきゅっと道が集約されているのです。
そして、それ故に滋賀は平安京の東の玄関口としての役割を担っています。
さらに時代をさかのぼると、奈良の平城京などとも滋賀は繋がっていました。
また、いずれの都でも淀川水系が重要な役割を担っていることをよく感じます。
例えば平城京へは宇治辺りから陸路で南へと向かう方法と、そのまま川を下り大阪湾まで出た後に大和川を使う方法が有名です。
大阪湾まで出てしまうと遠回りに感じられますが、水運だと重い物資も比較的楽に運べます。
実際、東大寺などにはこうして運ばれた今の甲賀辺りの木材が沢山使われました。
その証拠に、甲賀の飯道神社を祀った小さな社が二月堂の側にあります。
一方で滋賀にもこれらの道を通じ、人、物資など様々なものが入ってきました。
それは文化にも影響を与え、例えば湖北は北陸の信仰文化の影響を強く受けているのです。
この様に滋賀の歴史や文化は、沢山の道を通じた影響と切っても切り離せない関係にあります。
なので、道の国という通称はやはり的を射た表現です。